さみだれダイアリー

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25.9.1 山手線で隣に座ったきみ

きのう(8月31日、日曜日)は久しぶりに大学の同期・後輩とお酒を飲んだ。
4年前までは同じ学生寮で毎日顔を合わせて、毎週のようにお酒を飲み交わしていたというのに、久しぶりの再会を祝うなんて、僕たちらしくない、とずっと思っていた。
けれど、久しぶりの再会から徐々に打ち解けていくまでの会話の運び方、熱の帯び方、これはもう映画のシナリオなのだと、ここはスクリーンの中なのだと、一瞬でも思った。それ以外に再会を祝すにふさわしい感想があるだろうか......。

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土曜日、公開から1年越しに『SUPER HAPPY FOREVER』をやっと劇場で観ることができた。

この映画の舞台は伊豆なんだけど、伊豆ってすごい。こんなに魔力的な場所なんだ、と再認識させられる。
かつてあったもの、居た人の記憶が伊豆の海沿いの温泉街(舞台のホテルは下田らしい)を捉えるカメラから浮かび上がってきて、その記憶と自分自身のパーソナルな記憶、それこそ伊豆に泊まりに行った時の記憶とかが接続される。
海、坂、砂浜、至る所にある記憶の残滓と格闘する主人公・佐野と宮田のやりとりは泥臭いけど身体的に美しい。なんかこの映画、ずっと身体が美しいんだよな......。

佐野と凪が初めて出会ったホテルのロビーから、だんだんと仲を深めていくまでの脚本が素晴らしくて、何度も泣きそうになった。ふとしたせりふ、行為にこそ永遠に替えられるような瞬間があって、それを観客の私(たち)はまざまざと見せつけられていた。ほとんど身動きがとれないくらい、目を離せないほどに。

旧友との再会を分かち合う瞬間にこそ、永遠に替えられるものがあるのではないか、すなわち、それこそ映画たりうる瞬間なのではないか、と『SUPER HAPPY FOREVER』を観てセンチメンタルになった私は、ひとりでに、思っていた。

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飲み会の帰りの山手線、隣に座った酔っている若い男から「お兄さん、何の帰りですか!?」と声をかけられた。 

私もある程度は酔っていたのでいろいろと話をしてしまううちに、彼が大学4年生で、就職先が決まっていないこと、東京は人が多くて実家に帰りたいことなどを聞いた。ほんとうにそう思った。東京は人が多い。そして就職先なんて決まっていなくたっていい。

彼は新宿で降りるらしく、私の方が先に降りて、帰り際に軽く手を合わせて、彼の無事を──そして私の無事を──祈った。